代表者挨拶

ハマショウトランスポート代表取締役の濱崎貴雄です。

弊社は多くの温かい仲間の支えがあり、設立させて頂いた会社です。
人の心によって形となった会社であり、今もまた、人の心によって成長させて頂けている事に感謝しています。

そんな弊社は、「心」「想い」「感謝」をベースにあらゆる事を考え・判断し、行動して行く会社であり続けます。

弊社は全社員を家族と思い、真剣に向き合っています。
家族である社員と共に心をこめてお客様にサービスの提供をし、成長し続ける会社と社員に働く事の楽しさや充実感、そして幸せを感じてもらえる会社を、常に目指していまいります。

濱崎社長に聞きました 

Q1社長が運送業界へ入ったきっかけを教えてください

16歳からアルバイトで働いていたガソリンスタンドのお客様に、長距離輸送をする運送会社がありました。

地方から帰ってくるトラックのホイールは熱を持ち、雨の日にはホイールから白く湯気を出すことがあります。荷物を積んでたくさん走ってきたんだろうな、かっこいいな、そんなトラックを見て、ドライバーに憧れを抱くようになったことをよく覚えています。

そのトラックを運転するドライバーに「どこからお帰りですか?」と聞くと、大阪、熊本、青森、ときにはフェリーで札幌から帰ってきたと話してくれました。

自分が知らない土地を走ってきたトラックのフロントガラスの掃除がとても新鮮で、わくわくし、そのガラスの拭きあげ作業にも熱が入いりました。

ある日、その運送会社のドライバーさんの「うちに来いよ」の一言で、ガソリンスタンドの仕事を辞め、運送業につくことになったのが、18歳の秋のことでした。

Q2ドライバー時代の1番の思い出は?

沢山ありますが、はじめて名古屋に荷物をお届した時ですかね。

中距離輸送デビュー!

東名高速で名古屋に行けるということを初めて知り、中央道と東名高速が小牧でつながっていることも知りませんでした。

見るもの聞くこと全て知らないことばかりで、毎日が楽しく荷物をお届けすることの喜びと感動を覚え、仕事に夢中になった19歳の夏。

Q3ドライバー時代の1番大変だった思い出は?

秋の北海道ですね、あの日は忘れません。

長距離輸送にも慣れてきて、二十歳そこそこの私は自身に満ち溢れていました。

会社はその私に北海道の運行を経験させてくれました。
10/27着で札幌に飲料を届けるという運行でした。

人生はじめての北海道、フェリーの乗船方法など知るわけもなく、見様見真似で青森から函館へ、洞爺湖の虻田から国道230号でルスツから札幌へ入り、帰りは江別から荷物を積み、同じルートで函館へ戻ろうと考えていたのですが、定山渓の先で、中山峠が雪で通行止めになっていたんです。
北海道の冬の早さに驚きました。

当時は道央道も無かったので、国道で苫小牧・室蘭を経由し、下道を走って函館に向かっていました。室蘭から雪が降り始め、お恥ずかしながら、チェーンの準備をしていなかった私は、長万部手前の登坂車線でトラックを雪でスタックさせてしまい、ホイールにロープを編むように巻き、なんとか脱出させてもロープはすぐに切れてしまいどうにもなりませんでした。

日も暮れて路面はアイスバーンとなり、行き交うトラックは坂を滑りながらおりて来る状況の中、ゆっくり坂を上がってくるトラックにけん引をお願いしても、「そんなところで止まったら共倒れだ」と断られ続けていたところ、一人のドライバーが「砂を撒け!」と走り去っていきました。

国道に設置してあるボックスに、すべり止め用の砂袋を用意してくれていることを知り、真っ暗な峠道を探し歩き、ようやく見つけたすべり止め用の砂袋をトラックへ持ち帰り、その砂を撒きました。的確なアドバイスでした。

トラックの脱出に成功し、やっとの思いで函館港に着くと、先程声をかけてくれた数名の運転手たちに再会し、食事をご馳走してもらったことは、今でも忘れられないエピソードです。

自分の未熟さを痛感した運行でしたね。

Q4社長になって今までで1番良い思い出は?

はじめて、新車を購入したときです。

独立当初は中古のトラックからでした。
いつかは、新車をと夢見て頑張ってきたのではじめて、新車を購入できた時は、とてもうれしかったです。その新車は、一緒にがんばってきたスタッフに任せ、私はそのタイミングでトラックをおりましたので、実際のところ、新車のトラックに乗務するという夢は叶わなかったのですが、今でも会社に新しいトラックが納車されるときは、うれしいですし、本音を言うと羨ましいですね。

Q5運送会社を設立したきっかけは?

会社を設立したかったということもなく、社長に憧れたこともありませんでした。

はじめて就職した運送会社にはたくさんの経験をさせてもらい感謝の思いしかありませんでしたが、自分がどこまでできるかチャレンジしてみたかったこともあり、お世話になった会社を退社し、トラックを購入し独立することを決断しました。

退社してすぐトラックを購入できると思っており、勢いよく会社を飛び出したものの、トラックの購入の壁は高く、知り合いの運送会社の手伝いを転々としグズグズしていました。
かっこつけてお世話になった会社を辞めたこともあり、独立できないなら、運送業から退こうと思ったこともありましたが、周りの仲間の助けもありトラックの購入に辿り着いたときは、3年の月日が経過していました。

トラックを手に入れた私は水を得た魚のように荷物を運び「ありがとう」と言っていただけることが嬉しくて、夢中に走り続けていました。
お客様に喜んで頂けることを追求していくうちに、気付いたら会社となり社長となっていました。

荷物を届けた時の達成感、人から人へお預かりした荷物を無事にお届けできたとき、条件が悪ければ悪いほど、その達成感は大きく、「ありがとう」と言って頂けるこの物流に魅せられて今があります。

私はこの物流のお仕事に巡り合えたことに感謝し、これからも初心を忘れず、お客様から信頼される物流会社を目指し、様々な要望にお応えできるサービスをご提供していきたいと考えています。


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